できない話。
結婚してヨメを新潟の本家に連れて行った。当時、昭和の終わ
りごろで東京在住。親族・友人にろくに連絡もせずに入籍してし
まったのでヨメの披露というわけ。
文久2年生まれの曽祖父が家出をして結果的に分家したのは
明治11年であり代が相当離れてしまっているのだが、当時は
老齢の御当主も健在で非常に歓待してくれた。
一泊して巨大な仏壇の前に坊さん呼んで一同、ご先祖を供養
して屋敷を辞した。夏だったので新潟の海水浴場に立ち寄って
みたくなり、海の家に駐車して早速上がりこんだ。
実はそこは小学5年のときにおぼれかけた海水浴場であるが、
それも楽しい思い出。そこで食べたラーメンが美味しかった記
憶があり、海に入る前に昼食で注文して、食後に夫婦で海に
入った。
ここからが夫婦喧嘩の連続で、まず買って半年もたたない結
婚指輪をはずして入るかどうかで口論。お互い、買ったときより
やせ気味になっており、ちょっと引っ張ると抜ける感じ。私はは
ずして貴重品で預けるとき、ヨメにもはずすように促した。
ダイビングが好きだったヨメはウルサイと私を一喝、ポニー
テールの長い髪の毛のまま泳ぎ始めた。
で、髪留めの輪ゴムの位置がまずかったのか、顔に髪がかぶさ
る感じで足がつく深さで立ち上がり、輪ゴムをはずして髪をまとめ
始めた。近づくと輪ゴムに結婚指輪が引っかかっていらついている。
指輪を預かるよと声をかけると再び鬼のような形相で、ウルサ
イと怒鳴り返され押し黙った瞬間、指輪はパチンコの原理で、
パッチン、ヒューンと沖の方角に飛んでいった。
それみたことか、あんたが声かけるから、というの罵り合いをしながら
水中眼鏡をつけて探し回ったが、立っていた1メートル程度の深さから
スノーケルつけないと苦しい方へ飛んでいったのでとうとう見つけること
はできなかった。
実は家を出るときにもヨメがカメラで私を車の前で撮ってやるというの
で渡すとき、重いカメラなのでストラップ首にかけるように頼むと、ウル
サイと怒鳴り返され、その瞬間コンクリートにカメラが落下しておシャカ
になったこともあり、その後は帰宅するまでほとんど口論とシカトで旅
は台無しになった。
それから平成もしばらくたってから私たち夫婦と子供2人(喧嘩ばかり
していたができるものはできる)は九州に住むことになっていた。
天草の海岸でヨメが海に入りたいというので小さな子供を私が見張っ
て、妻が海から上がるのを待ち、家路に向かって車を出そうとしたとき、
車の後部座席に銀色のリングが落ちていることに気付く。
見覚えがあるので驚いて刻印を見ると俺たちの結婚指輪。自分の
指輪は地下鉄ドアに手が吸い込まれたとき、思い切り楕円になって
しまい、財布の中に入れていたのでこれはヨメのものに間違いない。
なぜ新潟の海に飛んでいった指輪が、天草で車の中にあるのか。
なお、新潟に行ったときは黄色い初期型のRX-7、その後白のRX-7
GTXターボに買い替え、チャイルドシートが入りきれないのでデリカ・
ワゴンに買い替え、九州に持って行った。そのデリカ車内で指輪を
見つけた。この間、10年弱。車も違う、荷物も違う、服も違う。
海に落ちたと勘違いして車に、という可能性は皆無。
くどくど長文でいらつかれたらすみません。自分なりに記憶を確認している
意味もありましたので。
目の前で、指輪にゴムが引っかかって、指先からビューンと飛んでいく有様
は目に焼きついている。ちゃっぽんという水しぶきも見えた。
ヨメはこれあんたのじゃないのと言うものの、サイフから楕円形の指輪をと
取り出してみせると無言。
夫婦とも不思議は素直に受け入れるたちなので、きっとご先祖様が夫婦喧嘩
するなと奇跡を起こしたのだろうと解釈して事態を忘れることにした。なお、この
あとさらにつまらんことを原因に大口論をして、ふてくされた私は子供をゴムボー
トに乗せて海に行ってしまった。小一時間遊んで戻ってきたら妻はいなかった。
ちかくの海の家のおじさんがやってきて、奥さんが喘息発作起こしているが、
いくら呼んでも聞こえないようなので従業員が牛深の病院へ運んでしまったと
言うではないか。あわてて入院先に飛ばして面会、子供たちが毎週土日にママ
に会うため旅行ができると喜んだら、ヨメは親子して私を遠くの病院に隔離する
のかと怒り狂って退院。帰途もずーっと夫婦喧嘩、親子喧嘩だったので、ご先
祖様は関係ないような気がする。
この話だけで判断するのも良くないし人様の嫁を悪く言うのもアレだが、
嫁さんちょっと酷くないか?常軌を逸してる感がある。人格障害的な・・・